鬼ごっこの歴史

歴史を紐解くと、平安時代の「追儺」と呼ばれる宮中行事が始まりだとされています。五穀豊穣を願って、悪者である「鬼」を追い払うものでした。そういったものから1000年以上に渡り、人々の中で行われてきました。

なぜ、これほど長くの間、多くの人に親しまれてきたのでしょうか?

平安時代

 

宗教行事として行われていました。京都で「追儺(ついな)」という宮中行事が行われていたそうです。吉田神社にある史料によると五穀豊穣を願い、悪いものの象徴である鬼を追いかけ、矢を射るなどをしていたそうです。 

 

 


江戸時代

 平安時代以降、宗教行事としての鬼ごっこと子どもの遊びとしての鬼ごっこが存在しています。追儺のように宗教行事として行われていたものと子どもが遊びとして行っていたものとつながり、社会に浸透していきました。現在でも行われている「ことろことろ」などが行われていたという記録があります。平安時代には貴族文化の1つとされていた鬼ごっこですが、江戸時代になり、庶民文化に根差した子どもの遊びの文化へと変化していきました。

ただ宗教的な鬼ごっこが全て無くなった訳ではありませんでした。現在でも一般的に行われている「節分での豆まき」は平安時代の鬼ごっこ(追儺)の要素を色濃く残しています。

 


明治時代

近代学校システムが出来上がり、鬼ごっこは学校でも取り組まれるようになりました。記録にあるものでは、大正2年に文部省から出された「学校體操教授要目」には7つの鬼ごっこ(カラカイ鬼、子増鬼、西洋鬼、猫と鼠、場所取り鬼、帽子取り、目隠し鬼)が例示されています。

また、学校だけでなく、市中でもたくさん取り組まれていたことが記録として残っています。明治34年に発刊された「日本児童遊戯集」という書籍にはその当時の子どもの遊びが地域ごとに収録されています。全部で632個の遊びが紹介されているのですが、その中に鬼ごっこは62個あります。「ことろことろ」のように日本全国で取り組まれているものもあれば、「道具鬼(京都・伊勢)」のように、地域が限定されている鬼ごっこもあることが分かります。